2014年1月7日

憲法は何のための法か

民法は私人間の権利義務に関する紛争解決のための法であり(by椿先生)、刑法は犯罪予防のための法であるといえます。

では憲法は?憲法は何のための法なのでしょうか?

憲法は権力を拘束する装置といわれます。具体的には、権力を作用に応じて3つに分け、それぞれ異なる機関に担当させています。国会が立法作用を、内閣が行政作用を、裁判所が司法作用をといった具合にです。国会は、憲法41条ないし64条に従い、法律を制定します。内閣は憲法65条ないし75条に従い行政事務・法の執行等を行い、裁判所は憲法76条ないし82条に従って司法権の行使として裁判を行います。

このように国家権力の行使方法が憲法によって規制されているのはなぜか。それは、権力の行使が憲法第3章に定められている国民の権利を不当に制限することの無いようにするためです。

例えば、憲法15条1項によると公務員選定権は国民全員に与えられていますから、国会が公職選挙法を改正して男性だけに選挙権を与えるようにすることはできません。公選法は全国民に選挙権を与えている場合であっても、選挙管理委員会が屈強な人物を投票所において女性の投票を妨げ、男性だけに投票を許すように運用すれば、実質的には男性だけに選挙権が与えられたのと同じ結果を実現することができますが、これは当然許されません。仮にこのような行いがされ、裁判所に提訴されても違法と判断されなければ国家の行いは是正されないわけですけれども、そのような恣意的な裁判は許されません。裁判官は憲法に拘束されるからです(76条3項)。憲法に反する法律は無効であり、憲法に反する国家の行為は無効です(憲法98条1項)。国民の権利は憲法第3章に制定されていますから、人権を不当に制限する法律・行為は無効です。統治機構は人権を保障するために存在するのです。

国民の権利を定めた憲法第3章は、10条から40条までです。このうち15条から40条までは、憲法がその内容まで具体的に定めた権利です。これら個別人権は、憲法制定時に、明文で制定するべきとされた権利であり、平等権(14条)、幸福追求権(13条後段)を源泉とします。

それでは憲法が幸福追求権および個別人権を制定し、これを尊重せよと権力に対し命じているのはなぜか。それは、すべての国民を個人として尊重するためであるからです(憲法13条前段)。

だんだんと核心に迫ってきました。ではなぜ国民は個人として尊重されるべきなのでしょう。
その理由は、個人は尊厳をもって扱われるべきであるからです。「個人の尊厳」という文言は憲法24条2項、民法2条等にあらわれていますが、これは憲法の根底にある基本価値です。尊厳をもって扱われるとは、蔑ろにされないということです。大切に扱われるということです。

つまり、憲法は、個人の尊厳のための法であるということができます。

まとめると、個人の尊厳のために国民は個人として尊重されるべきであり、これを権利として表現したものが幸福追求権を源とする個別人権です。人権の不当な制限を回避しようとするために権力を規制するのは、個人の尊厳(≒個人の尊重)を目的とします。

以上は、憲法の「理念は自然権としての人権の保障であり、憲法は国家が理念の実現を目指して実定法を制定し改変していく手続を定めると同時に、その際に尊重すべき『人権』を確認するものである。その意味で、憲法は実定法が展開していく『法のプロセス』を定めた法規範である」という高橋先生の言葉に現れています(立憲主義と日本国憲法1頁)。

今日は以上です。

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